2014年10月09日
普天間神宮例大祭
昨日は(旧9月15日)、普天間神宮の例大祭でした。
今年は、友人と少し早めに出かけようと話していたので、
駐車場もスムーズに入れ、祭典も拝殿の中で参加することができました。
一般の参加者も、早めに行くと拝殿の中に入れることが分かりました。
ここへ来るといつも、初めて参拝に来た時のことが思い出される。
普天間神宮を詣でた後から、鏡のような太陽に追っかけられることにもなりました。
家の中で座っていると、丸い鏡のような太陽が、私に向かってきて、
よける間もなく、私の胸を通りぬけていきました。
驚く私を無視するかのように、もう一度。
あっという間に二度も

太陽はまたたきながら、私の胸を通りぬけました。
それ以来、太陽に追われるようになりました。(笑い
祭典の後、たくさんの御下がりもいただき、神宮を後にしました。
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昨夜は、皆既月食でした。
デジカメでは上手く撮れません

今日の早朝の月
Posted by メイラ at
12:55
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2014年10月05日
母に追い帰された (4)
ちょとした体の不調だが、万に一つ死んでも亡くなった母に会えるからと、
消極的自殺のような考えをしながら寝てしまったことから、始まった夢である。
結果的には母に会えたのである。
でも、母は喜んで迎えてはくれなかった。
「やるべきことが、まだあるでしょう」、と言わんばかりに追い帰えされた。
でも、あれは母だったのだろうか。
何方かが大切なことを教えるために、母の姿で現れたのではないだろうか!
少しそんなふうにも思えてきました
そして、夢に出てきた場所に実際に行ってきました。
朱塗りの鳥居はありません。
もちろん母もいません。
母がいた白い雲の中のあの場所は、公園になっていました。
公園は、入り口から奥へと上りになっていて、小高い丘なっていました。
何故か夢の中の母がいた場所も高い位置にありました。
私は夢の中でも、母がいる位置が気になっていたので、この共通点が
不思議に感じます。
現実には、公園は小学校の裏門の方向に低く傾斜があり、
裏門への道がそこから真っ直ぐに延びている。
夢では、白い雲の中の受付場所が高い所にあり、
そこから白い川が延びていて、もの言わぬ死者は公園の方へ向い、
川を挟んでうつむいて座って、次の世界?、行く場所?の判定を待っていました。
公園の小高い丘の向こうは、村の墓地がある場所につながっています。
(土地の開拓で地形が変わって、私の記憶の中の風景は無くなり、
この夢のお陰で、思わぬ所から墓地へ続いていることを発見した)
あの時母に追い帰されたから、今こうしてこれを書いています。
そうでなければ、あの真っ白の雲の世界に行っていただろうと思います。
そうそう、あの方、あの男の方!
あの男の方も、この世に戻ったと思います。
何処かの病院で「ご臨終です」と言われたのに息を吹きかえし、
この世に戻って来たと思います。
色の無い白い雲色の世界で、色鮮やかなジャケットの服に、
墨色にこれもまた、鮮やかな朱色の入った柄の着物を着ていたのは、
私と彼だけだったのだから!
完
でも、まだ続きの話がありました。
実家の弟にこの話をすると、彼はその公園へ夜、犬を散歩に連れて行き、
公園の石の台にタバコなどを置いて、犬のじゃれているのを見ていると、
誰もいないのに、石の台に置いたはずのタバコが無くなると言った。
二度も同じことがあったらしく、不思議に思っているところに、
私の話しとなったらしい。
私は、その公園へは犬を散歩に連れて行かないように、
早朝の散歩に変えるようにと話した。
2014年10月04日
母に追い帰された! (3)
(3)
私は足首までの水の深さの中で、何処までも続いている川の中に立っていた。
川床は不思議に、見慣れた川床ではない。
水草も生えてなければ、川石も無い。
ただ真っ白な川床である。
水の流れは少し速く、私のいる方へ流れてくる。
私の行く先には学校の裏門があったはずだけど・・・・?
学校の門は何処にも見えず、果てしない川が、私の前に続いている!
理由が分らず、ぼーっと立っていると、突然声をかけられた。
声の方に顔むけると、一人の男の人が立っていた。
その時になって初めて、川の両岸に沢山の白い着物?を着た人が、
一列に並んで座っていることに気がついた。
私の左手には、男の人。
私の右手には女の人。
私が立っている広い川を挟んで、一列に私の背後の方向へ向いて座っている。
私の背後は母が受付をしている場所だけど・・・・・?
並んで何かの順番を待っているの!
はっきりと見えないけれど、それぞれの前には着物らしきものがきちんと置かれ、
その方々は一言も声を発することもなく、うつむいて自分の番を待っている!
川を挟んで男女に別れ、それぞれ一列に並んで、何かの順番を待っている。
私がしたように母に着物渡して洗ってもらうのか、それとも他に・・・?
その列の最後尾は、薄暗く見えないぐらい遥かかなたへとつづいている。
私に声をかけた男の人も、列に並んでいる一人だった。
何故か他の人たちは、真っ白い着物で身動き一つしないのに、彼だけが、
墨色の模様の中にところどころ朱色が入っている着物をきている。
例えが良くないけれど、刺青の中に朱色入れた様な着物の柄である。
頭の毛も側頭部だけ残っている。
道で声かけられたら、身構えたくなる風貌である。
その男の人が列からいきなり立ち上がって、右手の方向を指して、こう言った。
「ほら、鳥居があるでしょう!」
指示した方向を見ると、土盛りした上に真っ赤な鳥居が建っていた。
鮮やかな朱塗りの鳥居がそこにあった。
夢から覚めた。
一日経ってから、静かに夢を冷静に思い返すことができた。
母は、三途の川を渡ってあの世へやって来た人々が、最初に行く場所にいた!
何かあの世の仕事をしている!
私もあの世の仕事をしている夢を、みたことがある。
死者が最終的に行き先を決める、手続きをするところで、印を押す仕事だった。
この夢を見た後で、「三途の川」 を調べて見ると
三途の川は、人の生前の行いに応じて、浅瀬を渡るか、
水深の深い激流を渡るかとなり、けして渡ることの出来ない罪人もいるらしい。
橋を渡ること、舟で渡る話もある。
いずれも共通していることは、向こう岸へ(彼岸)川を渡ることである。
私が見たように川の両岸に男女に別れ、一列に並んで順番を待っている話しは、
どこにも見つけることは出来なかった。
(4)へ
2014年09月29日
母に追い帰された! (2)
(2)
目が覚めた。
いや目は覚めてはいなかった。
後で本当に目が覚めた時、どこにいたかが分かった。
そこには母(故人)がいた。
母のいる場所は白い雲に覆われていて上半身は見えるが、足下は全く見えない。
そこは何か入り口のようで、母は受け付けの仕事をしている。
建物の入り口なのか、場所への入り口なのかはっきり見えないので分からない。
何故か母の前には洗濯機らしきもの?が置かれている。
全体的に白い雲の中なので、細かいところまでは見えない。
色の無いその場所とは対照的で、原色の色糸で降り込んだ生地で、
丈の短い上着を私は着ていた。
(私の服へのこだわりと好みがこんなとこに出ている)
「これ洗って」と上着を脱いで母へ渡した。
白い雲の中で上着の色が際立っている。
「姉~姉え! (ねぇ~ねぇえ、生前母が私のことをそう呼んでいた。)
これは、洗えないよ」
「これを着て帰りなさい!」と強い口調で母が上着を私につき返した。
母は怒っているのではない。
でも強い口調で、はっきりと 「これを着て帰りなさい」 と言った。
母の意図が分らない私は、単純に洗濯機では洗えない素材の上着だから、
つき返されたと思った。
(ここで顕在意識が働くことが可笑しい。)
(でも後で母の意図が、思いが分かった時、私は声を上げて泣きました)
私は、母に言われるがままに帰ることにしました。
母のいた場所は、実家に近い場所にあったが、私はもうそこには住んでないので、
今住んでいる方角へ向かって帰り始めました。
家は歩いて帰れる距離ではないが方角的には正しく、
なぜか小学校の頃通っていた道を歩いている。
前にも夢にでたことがあるこの道は、大好きな道だった。
小学校の裏門につきあたる真っ直ぐなその道を歩きながら、
左へ曲がれば国道58号線に出れると考えている。
そして国道を南下すれば、家に帰り着く考えている。
(ここにも顕在意識が働いている)
ふと、気がつくと小学校へ続く道は、大きく道幅も広がっていて、
真っ直ぐに限りなく続いている!
小学校の裏門は何処にもない!
遮るモノが何一つない風景の果てを見ると、畏怖の念が沸きあがり、
前にも夢で見た終わりの無い、無限に続く状態がそこにはあった。
驚くことは、私が立っているそこは、もう道ではなく水深が浅い、広い川になって、
どこまでも続いている!
その川の真ん中に私は立っている。
(3)へ
2014年09月28日
母に追い帰された! (1)
その夢は8月3日(旧七夕の翌日)の朝に来た。
前日が旧暦の七夕の日で、お盆前のお墓の掃除をするため、
毎年、二ヶ所のお寺へ行く。
だが今年は、体の疲れもあってお墓参りに行かなかった。
今までにないことである。
今年は、夜家族がそろってお仏壇にお供えをして供養しただけとなった。
そろそろ寝ようとしたら、何となく息苦しくなって気分も良くない。
「家人は?」というと、もうぐっすりと寝こんでいる。
私の状態は、どんどん悪くなっていく。
余りにも苦しいので、家人を起こそうと腰を上げかけた。
でも何故かそれを止めた。
それから布団の上にゆっくりと体を倒して寝てみた。
「このまま心臓が麻痺を起して死ぬのだろうか」と思った。
「でも、死んだら、お母さんに会えるし、お父さんにも」などと・・・。
いつの間にか夢の中へ?
いや心臓発作で・・・・心臓停止!!
ここからは母との会話? (2)へ
2014年09月24日
三人の子供たち
今月18日、観音様の御縁日に、いつものように護摩木を納め、
いつもの場所で座って祈っていると、少し変わった体験をした。
御本尊の観音様の右隣には、お大師様(空海)が祀られています。
私はいつもそこの前に座っています。
その日もそこで祈っていました。
目を閉じいてしばらく祈っていると、私の前に子供たちが現れた。
彼らは、私に背を向けて横並びに立った。
彼らの背の高さは座っている私と同じぐらいの高さでした。
其れだから・・・4~5歳ぐらい?
ふとよく見ると、彼らの前には長いテーブルがあり、
その上には封筒ぐらいの大きさにパッケージされた「おもちゃ」?が
たくさん置かれている。
「おもちゃ」にしては、地味な感じもあったが、
子供たちは喜んでいて、
「ほら!これ!」と後ろに座っている私に、振り返って得意げに見せた。
不思議なことは、子供たちが私にそれらを見せると、
座ったままには変わりはないが、私は大きくなり上から子供たちを見ている。
子供たちが背を向け、「おもちゃ」をえらんでいる時は、私は彼らと同じ高さ、
振り返って「おもちゃ」を見せたとたんに私の背が高くなった。
このやり取りの時間はほんの数分の出来事だった。
起きていたのか、寝ていたのか、はっきりしないほど!
これは現実(三次元)での出来事ではないが、
ものすごく子供たちにリアリティ感があった。
子供は、男の子が二人並んで、最後に少し背の低い女の子。
不思議に思えたのは、場面に応じて自分の体の大きさを変えていること。
私は、次元をまたがって体験していたのだろうか!
4,5年前に三輪車に乗って遊んでいる幼い自分を、
大人になった私が、垣根越しに見ている夢を見たことがある。
その時、反対側の垣根の上から見知らぬ人(目がアーモンドアイだった)が
私を見ていた。
その方の頭も変なぽちぽちがあったので、夢を思い返しては苦笑していました。
でも、後でその方がどなたかが分かり、恐れ入ったことがあります。
その方は、お釈迦様でした。
知り合いの方の仏像のお釈迦様でした。
そこへ行く度に、お水を換え、勝手にお顔を拭いていました。
なんの宗教も持たないことにしているので、崇めてした行動ではありません。
ただ清潔にしていたかっただけです。
観音寺通って、14,5年?になりますが、信徒ではありません。
自らの内を拝するために通っています。
それはこの次元のモノサシだけでは理解できない、
不思議な神秘体験をかなりしたからです。
体験の多くは、三次元の物理学、天文学を持てしても、
理解できないことが多く、終いには、手からこぼすこともありました。
今は、自らの内へとむかう作業が多くなりました。
私たちは、自分の目で見える全ては、時間の向こうに消えていくモノです。
目で見える範囲はほんの少しだと知りました。
残るモノは何でしょう!
残るモノがあるのでしょうか!
確認したいのです! ここにいる間に!
生きていることに、この体に感謝し、此処にいることに感謝し、
終わりなき旅を続けます。
でも何よりも子供たちが嬉しそうにしていたことが、良かった!
那覇空港
2014年09月23日
観音様の御縁日
金武の観音寺
まだ暑い日が続いているが、観音寺ではヒガンバナが咲き出していた。
赤い彼岸花の中に咲く白い花は、際立って凛々しい。
今年元旦の早朝に言われた「大災害」というメッセージ
それを裏付けるかのような日本中での豪雨災害。
私は沖縄にいる時は、毎月18日観音様のご縁日には護摩供養にいきます。
今年は「2014年 大災害大難を小難に、小難を無難に」と護摩木に書いて
護摩供養してきました。
これからも災害が起きることは避けることはできないでしょう。
もっと大きな災害もくるかもしれない。
願わくば、大難は避けていただきたい。
災害を避けることができなくても、それを遠くで起きたできごとにしないで、
自分の身近でも起こるかもしれないと思い、心の痛み共有していきたいと思う。
広島では多くの方が亡くなられ行方不明の方もおられた。
今回の護摩供養は亡くなられた方々と、行方不明の方が早く見つかるようにと祈った。
その日の夜、行方不明の方々が見つかったニュースが流れた。
本当によかった。
残された家族の方々が癒されますように。
ブログは書き終わっていたのだが、御縁日にアップ出来なかった。
Posted by メイラ at
19:53
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2014年09月13日
私の中の小さな子ども!
もう、おまえはいないよ!
わたしも、いないよ!
おかあさんも、いないよ!
みんな、いっしょだよ! ひとつだよ!
ひとつになったよ!
すべてだよ!
なにもないよ!
あるのは
いしきだけだよ!
あいだけだよ!
ひかりだけだよ!
(9月13日)
私の中にある風景。
妹がまだいなかったので、2,3歳の頃の出来事。
全体の事は覚えていないが、家で危機的な事が起こり、
母は、家に私と父を残して、助けをもとめて、少し離れた親戚の家へ走った。
幼い私はその後を追った。
明かりの全くない田舎道を、暗闇に消える母の背に声限り泣き叫ぶ。
母が振り返ったかは記憶にはない。
車も通ることの無い道なので、そのまま立ち止ることなく母は走ったと思う。
その状況を大人になって思い返してみると、
暗闇で泣く幼子よりも夫の危機的状況が大きかったからだろうと。
母が消えた暗闇で恐怖に慄いて泣き叫んでいる場面だけが残っている
その後どうなったか全く記憶が無い。
大人になってから、不規則にその場面をおもいだす。
今朝、久しぶりにそれがやってきた。
でももう、大丈夫だろう。
もう思いださないだろう。
2014年07月15日
全員集合!
この星にいる、すべてのジュゴンたちよ


もう、あなたたちしかこの島

そうすればすべてが解決し、私たち(人間)は成長し進化します。
この惑星にいる意味が理解できます。
Posted by メイラ at
17:02
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2014年06月24日
オスプレイ・・我が家の上を飛ぶ(3)
梅雨のこの時期は、小学校では水泳の授業が始まります。
今日のように雨が降ったり止んだり、少し水が冷たく感じる日も、
水泳の授業は行われています。
その上を朝からオスプレイ機が飛んでいる。
今また飛んできた。これで四機目だ
プールでは、先生たちがハンドマイクを持っての指導。
そのマイクの音を掻き消す子供たちの元気な声

その子供たちの声をのみこんで、六機目のオスプレイ機が飛んでいく。
いや飛んでいる、まだ飛びつづけるだろう。
ほら

今日は昨日飛べなかった分、頑張るつもりのようだ。
2014年06月21日
旅・・・高野山から四国へ(4)
宿坊(光明院)を出て、総本山金剛峯寺へ向かった。
金剛峯寺は所々修理、補修などでビニールシートでおおわれていて
金剛峯寺全体がみえない。
でも朝日が中庭に射してとてもすばらしい!
金剛峯寺を後にして奥の院へ。
奥の院に続く参道は約2キロ、古より多くの有名人が地位や身分、
立場をこえ,競って墓碑を建てている。
仏さまが、かぶっておられる毛糸の帽子は苔におおわれ、
そこへ朝日がさして、キラキラ光っていた。
御廟橋から御廟のある奥の院へむかう。
下書きのままにして置いていたが、奥の院への参道は高野山の
もうひとつの顔なので、アップしました。
Posted by メイラ at
14:50
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2014年06月20日
観音様の御縁日
久しぶりに書きます。
去年は内地で少しの間、暮らしました。
誰も知った人がいない場所で一人暮らす日々は、
新鮮で、不思議に満ちて、ちょっと言葉に表現できない思いもあり、
それはギフトのような毎日でした。
内地の四季の変化を、幼子がただ楽しくて戯れるがごとく、
冬枯れた風景から、そこに一日一日、日増しに命が芽吹いて、
そのモノが望む色に変って、風景が彩色されいく瞬間に出逢い、その美しさに驚き、
感動し、はしゃいでいました。
ふと、地球で一番汚いものは、人間なんだ

だから、装うのですね。
だから 着飾るのですね。
街の風景に目をやると、自然以外の人工物は、寒天の海の中に停止している。
寒天の海の中で動きのあるのは、木々や草花、昆虫、鳥たち・・・・。
不思議なのは人間。
動いている人と、静止状態の人がいるのです。
深く追求しないようにしました。
そうして過していると、まず食べるという生命活動に全く関心がいかなくなる。
体重はかなり落ちました。
沖縄に帰って来て気がついたのだが、感覚が過敏になっている。
隣の部屋の畳に何か落ちる音がして行ってみると、あるのは小さい紙きれである。
まさか、紙きれの音

もうひとつ大きく気がついたのがあるのですが。
周りの誰も口にしないので、もうすこし書くのは待ちます。
18日観音様の御縁日、金武の観音寺のハスの蕾
ハスの葉が虫喰いを止めている。
自己犠牲かな

今年こそ咲いてください。
Posted by メイラ at
19:39
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2013年01月19日
観音様の御縁日
少し、ぼやけているけど大好きな桃の花です。
これはスーパーで買った桃のタネを、プランターの土に入れていたら
芽が出て育ってきた桃の木です。
もちろん美味しくいただいた後に。
芽が出ること、期待をしていなかったのでびっくりしました。
この桃の木はおもしろい木です。
柵のある方向には、枝は一本も生えてきません。
けれど木の高さが柵を越えると、四方八方に枝を伸ばしているのです。
ももと名付けて側を通る度に呼びかけています。
ももを大きな鉢に植え換えようとしましたが
園芸店から新しい土を買って使うのが抵抗があり(放射能汚染)、
未だにプランターの少ない土の中にいます。
木の高さは止まったままです。
そして葉っぱも数えるだけしか生えていないのです。
だから一輪の桃の花を見つけた時は、
「ももっ!」と叫びました。
感激しました!
ももは静かに成長していたのです!
今年初めての観音様の御縁日で、観音寺へでかけました。
今年は、今までに体験したことがないような変った年のように思えます。
上手く表現できませんが、あの大変な震災のあった年さえも
まだ私たちの想像ができる範囲でのできごとでは。
でも今年は人間の想像をこえる価値観?理解?・・・超える範囲になる!
まだ、しっかりとらえてはいないのですが。
護摩供養の後、温かいお茶が出てありがたかった。
不思議なことに、お茶はお茶の葉がパックに入っていたのに、
私の湯飲みだけに、お茶の葉が入っていたのです。
急須にはもちろん網が出口にはってあるもので、
そのままお茶っ葉を急須に入れても葉がでてくることは無い作りです
何故か私のお茶碗だけに茶柱が入っているのです。
そこにいた皆でいろいろ言い尽くした後で、茶柱は私の頭の天辺に
落ち着くことになりました。
その後、私は歯医者行き家に帰りました。
車から降りる時頭に手をやると、そこにまだ茶柱がありました、
今は茶柱は白紙につつまれて、お守りとなりました。
これって変・・ですか?
・・ですよね!
変と言えば、この日は高速道路を二往復したのですが、
その度同じナンバーの車が前を走っていました。
その車のプレイトには一般車両にはない文字と数字が書かれていました。
わたしが初めて目にするプレイトでした。
だから見間違えることはありません。
何者だろうか!
今年も、気になる事書いていきたいと思います。
このブログを訪れる皆さまの幸多い年でありますように!
Posted by メイラ at
15:45
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2012年10月30日
普天間神宮例大祭
今日は旧暦は9月15日です。
普天間神宮の例大祭でした。
二、三日前から例大祭へ行ことにしていたが、朝は時間が無くて、
昼過ぎても出かけられないので、今年は止めようかとしていると、
仕事で山原へ行ってるはずの家人から電話が入った。
「普天間神宮は祭りをしているよ」と。
「今日、仕事は山原だったんじゃない」とびっくりする私。
家人は神宮が祭りだから、近くでの仕事がキャンセルになり、
今日は山原での仕事になっていた。
しかし仕事は変更となり、神宮の近くでの仕事になったと言う。
それを聞いた途端に、二、三日前から行こうとしていたのに、
今日になって忙しいとは言え、キャンセルしようとしている私に、
「すぐに神宮に上がってまいれ」と言われた気がして、
急いで家を飛び出し、普天間神宮へ向かう。
家人の仕事が変更になったのは、偶然ではない!
十数年前に初めて神宮をお参りした後、
部屋で一人座っていると突然部屋の向こうから、満月のような鏡が
私をめがけて真っ直ぐにやってくる。
瞬間 「避ける」 と思った途端その鏡は私の胸を通りぬけていった。
「えっ」と驚いていると、もう一度鏡はやって来て胸を通りぬけていった。
今思い返しても不思議な体験だった。
あの日からかなり遠くまで出かけ、もっと不思議な体験をして
少しは成長をしてもど来た気がした。
今日はそれらの旅の報告をしました。
そして頂いた二枚の鏡のことを新たに自らの中に確認しました。
至れり尽くせりのお導きにただただ感謝だけです。
Posted by メイラ at
00:33
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2012年10月27日
旅…高野山から四国へ(3)
宿坊 光明院
高野山の宿坊、光明院に宿泊する。
宿坊の入り口を写真に収めようとすると、ご住職が気を利かし、
退かれた。
一緒に写っていただきたかった。
光明院の玄関
宿坊とは言え、お寺には変りなく、建物の中は独特な趣があり、
自分の部屋に行くまで、庭を囲む長い廊下通って行くと、
旅をしている実感が湧いてきた。
夕食 (精進料理)
日頃お刺身や、肉を食べない私には、安心して食べれる食事。
若いお坊さんが、皆が食事終えるまで給仕をしてくれていました。
それゆえか、シーンと静まり返る中で、皆の食べ物を噛む音が
妙に大きく聞こえる。
ついに私は「静か過ぎて、騒々しい」て言ってしまう。
そして終に「自分たちで、給仕しますよ」と観音寺の住職が言われる。
でも若いお坊さんは動じませんでした。
これもご修行の内なのだろうか。
最後まで給仕をしてくださいました。
普段口にしない精進料理は、美味しかったです!
ごちそうさまでした!
翌早朝、光明院の勤行に皆で参列して、ご住職の法話を聞きました。
光明院では、高野明神の修法の行に入られている、
お坊さんがおられるので普段は掲げない高野明神の掛け軸が、
隣の部屋の真ん中に掛けられ祀られていました。
ご住職も滅多に目にしない高野明神の掛け軸だと仰っていました。
今回何故か沖縄にいる時から、高野明神のことを、
私は口にしていました。
前回にはお参りしなかった高野明神社も着いたその日で、
お参りすると言う流れにもなりました。
(団体行動なので勝手に動き回るわけにもいきません)
そして宿泊する光明院でもまた、高野明神のお話となりました。
このように、ご神縁を頂くとは予想もしていませんでした。
ただありがたく手を合わせるだけでした。
光明院の朝食です。
昨夜夕食は、目新しく好奇心もあって食べ過ぎたので、
今朝は、ごはん以外の食べ物からいただき、最後にすこしだけ
ごはんをいただきました。
この旅はあえて腹七分を心がけようと思いました。
お腹いっぱいになると、肝心なモノが体に入って来ないのです。
朝食後、光明院を後にし高野山奥の院へむかいました。
Posted by メイラ at
00:57
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2012年10月23日
オスプレイ・・我が家の上を飛ぶ(2)
10月23日、21:15ごろ、 2機のオスプレイ飛ぶ!
那覇新都心の方から飛んできて我が家の真上を飛び、普天間飛行場の
方へ飛んで行った。
下から見上げていると、暗い空に緑色の光の輪を、二つ描きながら飛んでいった。
寝ている間に家の上を飛ばれたんじゃたまらない!
Posted by メイラ at
22:23
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2012年10月22日
旅・・・高野山から四国へ(2)
高野山に着いたのは、昼過ぎで普通はもっと明るいと思うが、
台風一過の後で、雲が多く夕方のように思えた。
今回高野山へは、初めてお寺の関係者の方たちと来ました。
そして高野山で秋季に行われる、金剛界結縁灌頂を、
体験することとなりました。
結縁灌頂(けちえんかんじょう)とは ”智慧の法水をそそぐ”
結縁灌頂とは、マンダラの世界に入り、仏様とご縁を結んでいただく、
真言密教における最も尊い儀式です。
潅はそそぐ、頂はいただきの意味で、大阿闍梨様から一人ひとりに、
仏様の智慧の法水を頭上にそそいでいただきます。
結縁灌頂の功徳
私たちは日々、迷ったり、不安になったり、身勝手になったりします。
埃が知らず知らずのうちに溜まっていくように「心の埃」(迷い、不安)も
溜まっていくものです。
結縁灌頂に入壇しますと、あたかも霧が晴れるように「心の埃」が消え去り
大宇宙の仏様大日如来と、自分が深く結ばれている実感を
得ることとなります。
迷いと不安を離れ、正しい道にお導きいただける功徳を授かるのです。
信者でも信徒でもない私のような一般の人も、入壇できるというこで、
体験させていただきました。
日常の中に特別な時間を切り入れたかのような体験は、
儀式を終えたとき、何故か清々しい気持ちになり、
心の再生をはかったかのようでした。
だいたいの事はどんぶり勘定でいけそうな気がしてきた。
結縁灌頂の儀式を終えて、金堂から出てくると外は真っ暗でした。
胎蔵界立体曼荼羅のある大塔
予定では、翌日の朝並んで整理券をもらってから、結縁灌頂の儀式を
受けることになっていたが、台風のため多くの方がキャンセルをしたので
着いたその日で儀式が受けられた。
私たちは台風の影響は全く受けず、天気にも恵まれ楽しい旅でした。
今思いだしたのだけど、真っ暗な金堂でさらに目隠しされて
お坊さんに手をひかれ儀式をしていると、妙に今体験していることが
前にもやった気がしてならなかった。
Posted by メイラ at
23:41
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2012年10月21日
観音様の御縁日(寒緋さくらが・・)
観音寺の境内で、寒緋さくらが咲いていた。
今年は、台風が原因なのか彼岸花も早く咲いた。
高野山や徳島のほうがまだ彼岸花がたくさん咲き残っていた。
今月18日、観音様の縁日で護摩供養に出かけました。
今回はいつもの祈りに加え、特別な祈願をしました。
これから毎月米軍基地全面撤去の祈願をすることに決めました。
米軍基地を囲み雨に濡れながら皆で訴えても、日本政府に訴えても、
米国政府に訴えても何も動かない。、
今回のように私たちの誰かが、人柱になるような犠牲が起きても、
この国の指導者たちにはまだ他人事である。
怒りを通り過ぎて、悲しいだけだ。
米軍が沖縄から出ていく方法はないのでしょうか!
しかも、米軍自ら「撤退させてください!お願いします!」と言って
出ていく方法は無いのだろうか!
私たちは、長いこと支配されているから首輪が外れているのに、
まだ首輪が繋がれていると錯覚して否だろうか!
戦争に繋がっている基地の存在はやはりおかしい!
人殺しに私たちは、沖縄はこれ以上手伝わされたくない!
Posted by メイラ at
22:23
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2012年10月18日
旅…高野山から四国へ(1)
高野山へ旅をしてきました。
この刻(とき)に、高野山に呼ばれるとは思いがけないことでした。
初めて高野山へ行ったのは16年前、
父を亡くし毎日苦しい思いの中にいた家族が、
父からのプレゼントとしか思えない流れで高野山へ。
母にとっては初めて飛行機で行く旅でした。
何も知らないまま高野山へ家族で出かけて行きました。
そこで不思議なお坊さんにも出逢いました。
そして私たち家族は、たくさんのお土産をもらいました。
{ 金平糖、お神酒、御影堂と三鈷の松との間の砂 }
そのことの深い意味が本当に理解できたのは、最近です。
高野山の信徒でもない、仏教、真言密教がどういうものかも知らずに、
高野山まで旅をしたのです。
御影堂と三鈷の松
後年、思い病に罹った母が病床で最後に願ったことは、
「もう一度高野山へ行きたい」ということでした。
外は台風21号の影響で風が強くなってきた!
18日は、観音様の御縁日!
護摩供養できますよね!
Posted by メイラ at
00:48
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2012年10月15日
オスプレイ・・我が家の上を飛ぶ
少し、旅をして戻ってきたらオスプレイが沖縄に来ている。
出来るだけ早く、帰ってくださいね!
那覇から普天間飛行場にむけて飛んでいるのだろうか!
昼過ぎ、やたらとヘリの音がするのでベランダへ出て見ると、
向かいの小学校の上を飛び、我が家の上へオスプレイが飛んでくる。
下では、小学校の門前で、子供たちも大声で「オスプレイだ!」と
口々に叫んでいる。
喜んでいいのか、悲しんでいいのか!
子供たちも彼らなりに、オスプレイを受け止めている!
目には、ゆっくり飛んでいるように見えるが、
実際に写真に撮ろうとすると、かなりの速さで、視界から消える。
音が聞こえて、カメラを持ってベランダに出るまでに、
さほど時間はかからないが、カメラに捕えるのに難しい。
速い速度で飛んでいることがわかる。
けして、下にいる者など気にしてない飛び方!
20回余り?飛んだだろうか!
赤くて丈夫なバルンを見つけたら、屋上に取り付けよう!
皆が寝静まっている夜の内に、オスプレイを
宇宙船か、ブラックホールでもいいからもらっていってください!
Posted by メイラ at
18:18
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